みなさん、アートとは何か深く考えたことはありますか?
どこからがアートで、どこからがアートでないのか、実際そのような区別をしっかりつけることはできないと思います。
一枚のハンカチをある人がアートだって言ったら、アートになってしまいますし、精巧に作られた陶器を道具だと言えば道具になってしまいます。
つまり、アートとは完全に自由であるとということです。
まず、アートとはとっても曖昧な、自由でつかみどころがない物ということを理解して下さい。
かの有名なマルセル・デュシャンの便器(タイトル 泉)という作品は、知っていますでしょうか?
便器にR.muttと架空の人物のサインをしただけの作品ですが、とてもとても有名な作品です。
何も知らない人がもしその便器を見れば、ただの便器でしか見えないでしょう。
表面的に見れば、なんでこんなものがっていうものが、アートになってしまう。
アートは曖昧で、自由でつかみどころがない物という一つの例だと思います。
アートとは、うまい下手で判断されないし、非常に変わった性質を持っているのです。
私がアート活動としていつも大切に思うことは、私の作品をいかに多くの人の心に刻み込めれるかが、大事だと思っています。
仮に、ごく普通のティッシュペーパーにサインをしてアートとして世に発表したとします。これが100万円の価値になるには(想像ですけど)を考えてみると、面白い考え方が浮かび上がります。
まず、そのティッシュペーパーのサインしただけで、人に見せたら当然ですが100円にもならないと思います。
では、どのような状態でしたら、ティッシュペーパーに価値がでるのでしょうか?
幾つか例を挙げると、例えば、野球選手のイチロウがティッシュペーパーにサインして 本人がこれは僕のアート作品だと言って販売したとします。そうするといくらかの価値が出てくると思います。ちなみにこの文章を書いている時に近くにいた人に聞いたところ、1万円
だったら買うと即答してきました。この時点でティッシュペーパーは、1万円の価値になりました。もちろん大ファンだったら、100万出すかもしれませんね。
1万円だと、まだ100万円にはなっていませんね、では、そのティッシュペーパーが、野球選手のイチロウが
引退会見のとき涙を拭いたティッシュペーパーだとしたら、また価値が上がると思います。記念のティッシュペーパーになりますしね。もし、そのティッシュペーパーをトランプ大統領が、購入してネットオークションでトランプ大統領が
自ら出品したとしたら、100万円以上の金額になると思います。もちろん、イチロウ選手もトランプ大統領も
世論があるので、そういうことは、絶対しないと思いますが、ティッシュペーパーを100万にする可能性はかなりあるということです。
いい例として、バンクシーの落書きも、今やすごい価値になっています。もし、あなたの玄関にバンクシーに落書きをされたら、入場料を取って公開することもできるくらいの価値になりますね。
ただの落書きなのですが、私から見ると、バンクシーの作風は、絵そのものに加えて、彼の謎めいた人物像・行動もひっくるめてバンクシーの作品であり、生き方がアートの一部であるから、落書きが最高峰のアートとしてみとめられると思うのです。これも、先ほど説明した、ストーリーと間接的な付加価値なんではないかと思います。
いかがでしょうか?アートで稼ごうと思っている方がもし読んでいましたら、こういう目線でアートを考えるとまた違った考え方が見えてくるとおもいませんか?
自分のこだわりを通すのもアートですし、こだわりを全く持たないのもアート。作品を制作するのもアートですし、
作らないってのもアートになってしまいます。でも、稼ぐアートとは、また別の話で、バックにあるストーリーが面白かったり、
間接的な付加価値が非常に珍しいものだったりといろいろな要素を足していけば、もしかしたら、第2のバンクシーにもなれるかもしれません。可能性はいっぱいあります。作品制作に詰まったら、是非この文章を思い出して
作品のそのもののではなく、ほかの見方で作品の価値を上げるアイデアなど考察してみてはいかがでしょうか?